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テリーイマイのスマ写個展02

暮らしの垢

Dirt of living

 Terryの見立てた日常。これが、第1回の個展タイトルだった。この時も、スマホについて多少ふれた覚えがある。​

自分でも信じがたいことなんだけれど数年前までは、スマホカメラをおもちゃカメラ扱いしていた。その見下した意識下には、スマホに対しての無知さと小ばかにした先入観に色漬けされたボクがいて、的確な判断ができていなかったのだと思う。​

 今々ながらそう思うとそんな自分が、とてもとても恥ずかしい。それが今は、スマホカメラの虜になっているわけだから笑える話だ。毎日毎日スマホカメラをポケットに入れマインドイメージの定着に奔放している。​時代の流れでアナログからデジタルへとカメラ機材も、大きく変わりちょっと油断しただけで情報迷子になり、自分の立ち位置を見失う。気が付けば、ボクはカメラ情報の遭難者として彷徨っていた。その事すら気づかず粋がっていた自分がいた。​

 ご存知のようにカメラも、インターネットの普及で使われ方が大きく変わってきた。特にSNSが日常化して広がり、ボクたちの暮らしをこれだけ豊かに、楽しく、便利にしてくれた。その反面で写真ビジネスの構造が崩壊し、職業を失ったネット難民もたくさん生まれた。時代ニーズは冷淡だけど、新しい職業ジャンルを生み出してくれたことも見逃せない事実である。​

 いま写真業界は、混沌としている…。PCの出現により写真表現が、自由になりすぎて無法地帯化していると言っても過言ではない。カメラ内にも特殊効果を創りだせるアプリが内蔵されていて、このアプリを使えば枠はあるにせよ昔は、プロの領域だった表現が、素人でも簡単にできるようになった。これは画期的なことであり、技術の標準化と言う点から見れば評価出来る点だ。​

 アナログとデジタルを経験しているボクは、今の時代における「写真表現とは何か?」。この問いかけに対して、自分自身が戸惑う事が多い。画一化された表現技術で、どこまで個人表現が自由で豊かにできるのか?時々ここに引っかかり立ち止まることも多い。ボクは思うに、今ほど写真哲学が重要視され問われる時代は、これまでになかったと思う。写真技術も大切ではあるが、それ以上に重要視すべきことと言えばフォトマインドだろう。毎日SNSにアップされる写真の量は、膨大な量だ。しかし写真的見地から見ると、撮影レベルの低いゴミ写真が圧倒的に多くてディスプレイから眼を背けたくなる。​

 人に対してバーバルよりもヴィジュアルインパクトは圧倒的に強いことが、歴史上で証明されている。一枚の写真が持つ情報量は半端ではなく、われわれの想像をはるかに越えている。文字を軽視するわけではないが、写真の持つチカラを信じて写真をもっともっと大切に活用してほしい。ボクの視覚思考上での事ではあるが、写真はスマホで十二分に撮影できる。「どんな被写体が必要で、何を表現したいのか」が、シャッターを切る前に明確化されているからだ。ボクの作品群は、写真哲学から生まれたフォトマインドに基づいてすべてが計算通りに撮影されている。その基本のひとつ「ノートリミング」、そして「無修正」と言う点に拘り表現している。ようするにカメラの中で「完結」を目標にしている。​

 このこだわりは、PCで創れないボク独自の世界観(フォトマインド)から出ている。アナログであろうとデジタルであろうと、この基本は変わらない。写真表現においては、共通する無視できない重要な尺度から見つめ表現している。作品の前に立ち何が見えてくるか?それは見る人の自由域だから、ボクのチカラは及ばない世界だ。スマホカメラと言っても、撮影の仕方と心構えで作品の質は、大きく、深く、広く変わってくることも、この作品展を通して知ってほしい。​

2017.4.22 東京の病院にて記述 Terry Imai(日本写真家協会会員)

テリーイマイのスマ写個展01

TERRYの

見立てた日常

Terry was likened everyday

作品が、生まれる瞬間

 

 

写真展は、TERRY’S HOUSE「東京・福岡・沖縄」で開催している熟成写真教室のメンバー展です。メンバーのライフスタイル/思い/目的は、多種多様です。この点を尊重する意味から、特別な状況を除き被写体/表現方法/撮影機材等の押し付けは一切しません。それぞれが、撮影目的に沿って自由に判断し選択、行動することの大切さを説いています。

 

①先生ではなく、写真友達がいい⇒アドバイザー&ガイド

ボクの役割は、極めたい道に必要な知識(技術/考え方)のアドバイスと写真遭難者を防ぐガイド役。メンバーたちは、ボクのことをTERRY(テリー)と呼んでくれる。この呼ばれ方にボクは、親近感を感じている。

 

②写真の極意は、目先にあった⇒トライ&エラー

写真人生50 余年。その長い時の中で検証/考察を繰り返えし到達した言葉…。見る⇒見つめる⇒見極める、そして見定めてパシャッ~。 この瞬間にゴミ写真ではない、意識を持ってシャッターを切った人の作品が誕生する。

 

③学ぶこと、そして恐れずに壊すこと⇒スクラップ&ビルド

学ぶことは、未来に向かう道作り…。創る⇒創り込む⇒つくり壊す、この繰り返しから作品づくりが始まる。

 

④光と時間の切り取り⇒カット&クリエイティブ

写真は、総合力を使った光と時間の切り取り作業。そこには、それぞれの人生ドラマがある。そのドラマから新たなドラマを写真という定着剤に置き換える作る行為だ。写真表現は、自分の人生の全てを赤裸々に見せること。だから面白い。

 

⑤写真は、カメラの中で完結⇒ノートリミング&ノーレタッチ

パソコンの出現で写真の根底に地震が起きている。加工を加えた写真を絵画フォト/加工しない写真をリアルフォトと呼び区別している。この教室での表現活動は、ノートリミング&ノーレタッチを基本にしている。

熟成写真教室グループ展 02

それぞれの

フォトマインドを

探す旅

Searching for a Trip

Each Photomind

出品者…………

増田久美子

坂山尚代

楢原亜紀子

冨田晴美

栗田康弘 

石川由美子 

田中洋子

山下恵美子 

Sho Take 

Terry Imai 

 パソコンの出現で合成写真や写真修正が、いとも簡単に作れるようになった。昔は、レタッチと呼ばれ筆や彫刻刀を使い絵画的に人間の手による原始的なテクニックで行われていた。が、しかし今は、パソコンを使うことにより正確に再現できるようになった。どちらかといえば味よりも、無機質的な正確さを求められている現代社会だから、表現行為としていくつかの問題は残るが、時代ニーズに合致し調度いいのかもしれない。
 いま写真表現は、PCとの関係性が複雑で曲がり角に来ている。写真作品を創るという行為をどのように解釈するか?リアル写真と言える境界線は、どこまでなのか?PCでいじくりまわした絵画写真やデザイン遊びのソフト写真を写真と呼ぶべきかどうか?などを多方面から論議すべき時が来たと思っている。ボクは、私論として「無修正・ノートリミング」であるべきだと考えている。その理由は、場違いなので別な機会に語ろうと思う。
 写真表現とは何か!簡単に言ってしまえば自己マインドを通して培われた想像力・思考・哲学などを写真テクニックで目に見える形化する行為だと考えている。それゆえに作品を創る楽しみ… 撮る喜びなどは、人それぞれで違うし、違って当然だとボクは思っている。そのため熟成写真教室では、「カメラの中で完結」を前提に表現指導をしている。

 

その理由として…
①写真表現を手足のように使えるようになって欲しいから…
②写真表現の基本をマスターして欲しいから…
③人工で作ったものと天然で作り上げた作品の感動の違いを実感してもらいたいから…
④写真を思考の道具の一つとして使って欲しいから…
⑤写真を暮らしに役立てて欲しいから…
⑥そして、ストレスの感じない好きな写真でお金を手にして欲しいから…
などを重要視しているためだ。

 

よく耳にする言葉として「写真の上手下手」は、この熟成写真教室には存在しない。写真の上手下手の尺度から作品指導をしていくと、狭くてつまらない没個性の写真教室になり、生き方のプラスに役立たないからだ。写真表現を通しての学びが、人生のプラスになり自己を豊かにし、また家族や仲間を豊かにしてこそクリエイティブしている意味がある。生きている実感を具現化する行為こそが、「実は写真表現」なんだ、と感じている。だからこそ明日を生み出すエネルギーが、写真表現から生まれて来るのだと思う。過ぎ去った昨日やまだ来ない明日ではなく、現実を直視した「今、この瞬間」をフォトマインドで形にしたものが写真だ。生きているという実感そのものを自己メッセージして欲しい。もちろんのこと今回の写真展も、前述したような狭義な事柄を越えたえたところで創られていてアマチュアだ・・・プロだとかと言う領域ではない広くて深いフィールドで制作されている。テーマとして掲げている「それぞれのフォトマインドを探す旅」と題したのも、それらの流れからだ。


日本写真家協会会員 Terry  Imai

熟成写真教室グループ展 01

暮らしの中の

個別的風景

In Daily Life

Individual Landscape

出品者………………………

 

廣田利香

山下美恵子

田中洋子

山入端 学

忽那里美

宮本尚昭

坂山尚代

富田晴美

増田久美子

栗田康弘

Sho

Take

Yamato

Yasu

石川由美子

Terry Imai

スマホカメラはボクの友達

 

 

 スマホカメラとの出会いは、18ケ月前に肩を骨折し一眼レフカメラを持てなくなった時でした。それまでは、スマホカメラを意識したこともなく、ボクの暮らの中には全くありませんでした。スマホを手にしてからこれまで約15000枚の写真を撮りました。その中から「これは…」と思う作品を20余枚選び展示しました。

 作品は、これまで生きてきた66年間の人生の垢や沁みの積み重なりによる熟成から生まれた独自の見立てにより制作されています。被写体と偶然的あるいは必然的な出会いから手にした心のゆらめき/感動/驚きなどを少しだけ距離を置き客観的に見つめています。

作品化する為のスマホ撮影は、これまでの一眼レフ撮影の感覚と違い重々しい無言の圧力や動きづらさの感じない撮影が特徴的でした。

 インターネットと上手くリンクしたスマホカメラは、現代社会にぴったりでスマホカメラの使いこなし方一つで写真のある暮らしに大きな違いを生んでいます。スマホ写真が、これまでの写真表現活動に大きく影響するであろう事は予測の範囲ないです。

 今回の写真展は、市販されているスマホの中から自分の意志に関係なく販売店員より進められてスマホを購入し撮影に臨んでいます。撮影を繰り返しているうちにメーカーにより撮影性能にも、驚く程の差があることもわかりました。中には、一眼レフの画素数に近い2500万画素数を搭載したスマホなどもあり、その画素数をメーカーが、どのように割り振っているのかで撮影のしやすいしずらいが決定してしまうということも学ぶことができました。

 ボクたちは、スマホカメラを選ぶにあたりなんの知識も持たずに選んでいることも事実です。カタログにも、細かい情報はありません。ほとんどの人が、ブランドやデザインからの選択で決めているのが現状でしょう。次回の写真展では、ボクの選んだ機種により撮影した作品を展示したいと思います。

 

使用機種:URBANO LO3/モデル番号KYY23/Android/画素数:1300万画素/レンズF値:不明/KYOCERA

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